当日。
ロッポンギなんてお洒落な街に足を踏み入れる。
会場はEX THEATER ROPPONGI
ステージから11列目のど真ん中。
予習はしていたものの、こんなにいい席でいいのか。
それほどにチケットが・・・やめよう。
ステージからフラットに後方に並ぶ席のちょうど
角度がつき始めたあたりに着座し
「ここ、ステージから思いっきり目立ちません?」と
ふみくんもヤマさんも動揺している。
かつて気仙沼まで落語を聞きに行った際、
思い切り爆睡をぶっこいたヤマさんが不安そうだ。
「あの時は、枕が良かったもので」
噺家が演目に入るまでのくだりを枕というが
上手いことを言って、堂々ネタフリをしている。
と、館内が暗くなる。
そして冒頭のとおり、らしくない実況を奏で
古舘伊知郎がステージに現れたのだった。
拍手に迎えられ、実況をひとしきり終えると
「つまらない実況だろ?」そう切り出した。
これが最初に教えられた実況のスタイルなのだという。
ライブのサブタイトルは「since1977」
それは彼のしゃべり手人生のことだった。
偶然にも私の生年と同じで、謎の優越感に浸っていたが
つまり、齢70を迎え自らのしゃべり手人生を振り返る
というテーマなのだった。
「今日は好き勝手喋ってやる!」の意気込みと共に
ライブ中、水を飲まないことを宣言する。
いまどき、学校の部活動でも積極的にとらせる水を
飲まないだなんて。。
しかしその、ステージに用意されたペットボトルは??
「これは風水的にあった方がいいらしい」
一斉に笑いが起こった。既に心をつかまれつつある。すごい。
このようななんとない雑談が続く。
休みなく続く。身振り手振りに伴い、足も動かして
体全体でしゃべっている。しゃべりつづけている。
ずっと雑談が続いているのかと思ったら、既にテーマは
始まっていた。流れるような展開とはこれをいう。
時代に伴う「実況」の流行りの移り変わりや
特筆すべきしゃべり手の紹介
芸能史から報道ステーションでのエピソードまで
時勢を組み込みつつ、時には物まねしつつ
まあ、淀みなく、それでいて客を置いていくことなく
自らの歴史と照らしつつ。
驚いたのは、笑い話から悲しい話まで、その語り口で
場の空気を一気に作ってしまうことだ。
自分が笑っていると認識していたら、次の瞬間には
涙を浮かべ話を聞き入っていたりする。
特筆すべきしゃべり手として「故 逸見政孝」が
紹介されたときは、おおおと唸ってしまった。
私が幼いころに本まで買うほど好きだった
その人を古舘さんは心から褒めていた。
自分には真似できない「しゃべり」とし、
あの有名な病名報告の会見を茶化すわけでなく
真似て、その偉大さを伝えた。
そして始まるF1レースの実況再現。。。
ここまででも「いいものを観た」気分だったが
その後も延々と続く芸術的なしゃべり。
文字通り、休むことなく、宣言通り水を飲むことなく
約2時間半の舞台を終えた。
数週間前に椎名林檎のライブを鑑賞したとき、
MCも入れず歌いっぱなしだったことに驚いたが
これはその逆であり、暗転も楽器の力もないとあれば
まさに驚異的な芸である。
コメンテーターをしていても、古舘伊知郎は
小さくなどなっていなかったのだ。
万雷の拍手の中で舞台上、客席方々に頭を下げ
引き上げるところで
「外は寒くなっております。お帰りは気を付けて」と
マイクを通し、客に声をかける。
「ここは喋るなと言われてるんだけど、どうしても…」
そういって、立ち去る際にも再度振り向き頭を下げていた。
人間性だなあ。
あの芸とこの人間性のギャップ。
過激に画面に向かて吠えていたって
正論を吐くが故、どれだけ叩かれたって
この姿勢が人物を語っている。
テーマは「死」を含めたしゃべり手人生の振り返り
だったが、その最後の姿で全て分かったよ。
見事な本編と、そしてエンディングだったと思う。
「付き合ってくれてありがとう」とふみ君と
ヤマさんに告げると、ふみくんは「手が震えてる」
を何度も強調し、ヤマさんは「椅子が硬くて
眠らずに済んだ」ことを強調した。
うん。こちらは通常運転だな。
そんな会話の帰り道。
SAKEROCKの元メンバー浜野謙太が
隣を歩いていたそうである。
やはり、席が簡単にとれたとはいえ
凄いライブだったのだ。
このライブの3日後、フリーアナウンサーの
小倉智明が亡くなった。
古舘伊知郎と直接関係はないのだが
時代を彩ったアナウンサーとして
自分の言葉で伝えるという信念を
持って帯番組を支えた共通性も
感じられ、このトーキングブルースが
「死」を含んだテーマだったこともあり
振り返らずにはいられなかった。
亡くなって後、追悼と共に再評価の声が止まない。
評価は…生きているうちにすべきだよ。。
もう、あの長い話を聞きたいと思う自分がいる。